「日本詩の押韻」九鬼周造を再読して

創作する人なら知るように、作品の個性ある一度限りのいのち息する形は、創りながら授けられ驚きと喜びと感動とともに、かけられた時間と苦闘と絶望と希望とともに、作品に塗り込められ象られ見出されてゆくもの。だからこそ他者にさえ響く可能性が生まれるもの。

「日本詩の押韻九鬼周造『文藝論』岩波書店所収。日本語の詩について、音韻、押韻、言葉の音色の響き合いを詳察。韻律は、音数律の律・リズ厶とともに、韻・響きに繊細であることが、詩作の技術、修辞を高め、作品を豊かにするという根本の主張には共感する。

西欧各国の詩、日本の詩の、言葉の響きと押韻技法の、歴史と個性について博識で用例も多く学び直せる。押韻定型が将来創られるべき姿との主張には共感しない。創作の基礎技術の表現史として例えば掛詞も枕詞も頭韻もその豊かさを知り、あからさまにではなく表現に美しく活かすことが望ましいと思う。

西欧押韻定型詩への愛着と思い入れが強すぎて、日本の長歌のうちから西欧14行詩型ソネットとみなせる用例をあげているのには、この頭脳明晰な著者にしてあまりに無理なこじつけと思う。

また作例として添えられた自身の数編の定型詩については、定型がまずあってそこに言葉を当てはめれば優れた響き伝わる詩になる、なんてありえず、また、伝えずにいられない強い想いのない言葉はどんな形でも詩は息しないと思うので、手遊びでしかなく読む気がしない。が、それ以外は優れた書。