詩と、芸術表現について

現代詩の堕落、つまらなさ、わけのわからなさの原因は、西洋詩のモノマネに甘んじて、暗喩モドキに溺れたこと。直喩と同じほど詩そのものの暗喩を商売に悪用して軽んじ損ねたこと。美がなく汚いこと。直喩も暗喩も丁寧に心の旋律に織り込められた詩なら、美しくふるえださずにはいないはず。

詩が、蔑まれ、疎んじられ、読まれないのは、悲しい。退廃と、滅亡への、袋小路でしかない。
詩でこそ、あらわせ、伝えられるものを、心ある詩人が、滅びまでは、美を、けんめいに。新しい心に響く詩、見つけるため、創りだすため。

必死にいのちかけて書くなんて、あたりまえのこと、スタートライン。より速く、いのち果てるまで走れ。

文学列島が沈没しかけているのだから、小説、短歌、俳句、詩、現代詩、細かい島々の、近親憎悪で叩きあい、沈没を早めるのは愚かだとも、反省。文学を好きな人は、なんとも感じない大多数人口には比べようもなく、響きあえる心があるのだから。なにより大切にして、高めあい、文学を深め、伝えるべき。家族近親者肉親には情け容赦なく想うまま言い過ぎて傷深めあってしまうように。しすぎてはいけない。戦うしかないヤツラは、違うところにタムロしてる。

自らの作品を本当にいい、大好きだと言いきれる作品にまで高めることにできる限りのすべてをそそぎ込まずにはいられない人の業が芸術の創造者だと思い。芸術を愛さずにいられない人、芸術を愛する人愛さずにいられない人も、芸術の創造者と思う。だから芸術は高められ深められ、人のいのちとなれる。

この世のドス暗闇に、微かな星を瞬かせているのは、人の、創作表現、伝えようとし、愛したい愛されたい、純な心の微香、微光、ささ波。それが失われたなら、ただ暗闇。

わたしは文学、芸術、表現者、表現努力が、むちゃくちゃ好き。ほかのことに関心執着まったく無さすぎて世間的には変人廃人世捨人と、冷たい目線で自分を見ています。美を求めずにいられない表現者、表現努力が、めちゃくちゃ好き。だから、醜悪に甘んじ、グロテスクをてらい、目配りしたウケネライは、めちゃくちゃ嫌い、厭う。

幼いいのちを、凍えさせず、あたためたいと、願わずにいられない童話がいちばん好き。詩、そのもの、だと思っています。