岡本かの子。短歌と時代

岡本かの子全集 第9巻 短歌」ちくま文庫
巻頭歌、好きな歌。

力など望まで弱く美しく生れしままの男にてあれ

初めの2歌集「かろきねたみ」「愛のなやみ」がいいと感じます。

岡本かの子全集 第9巻 短歌」
巻末歌から二首目、嫌いな歌。

昭和十四年の陽は登るなり聖戦国幸(さきは)へる国大和島根に

著名になり、国の大勢、国家、ジャーナリズムの偽報道、大衆多数世論、雰囲気にのまれてしまい、南京陥落の歌、ヒットラームッソリーニを戦争同盟国の頭として歌い残した。

当時の著名文人と同じ。
国家の公式見解をなぞるだけの報道、それををなぞるだけの文芸が、作品の最低限の価値を失い煽動、ガラクタに陥ると教えられる。見たまま聞いたまま感じたままの思いを歌いあげる短歌、詩の、陥りやすい落とし穴。断筆しても、日記に残し個の命を見失わない意思を保ちたい。

わたしは戦勝を誇り祝う人たちには同意、協賛、迎合はどんなことがあってもしません。
主義主張は押しつけがましく無責任にその時時の権力、多数のご都合で変えられ棄てられるもの。
戦敗国には望まず拒めず殺され傷つけられ苦しみ悲しむ人がいる、そのことを見ず聞かず感じ考えない鈍感を厭います。

その時代に投げ込まれた人を後追いで批判するのは容易だけれど、それよりも生きざまをみつめ考え学ぶことが大切だと思います。詩人高村光太郎歌人岡本かの子、人として心ある優れた人、心うつ詩歌を歌った人が、時代を生き表現し伝えようとし見失うことがなぜ、あるのか。