日本語詩とフランス語詩、英語詩とドイツ語詩。

日本語詩とフランス語詩は強弱抑揚がとても弱いので、母音の諧音・ハーモニー・響あいを、美しく聴きとりやすい。子音も同じように。
英語詩とドイツ語詩は強弱メリハリが強くリズムが核のため母音の響あいは脚韻以外は弱い。子音のほうがまだ響きあう。

戦後の日本語は、戦後現代詩も、戦勝国英米語の氾濫にさらされ受容したので、日本語と美質のちがう!リズム本位の英語を真似ようとして、諧調、母音、子音の、諧調、響あいの感性が薄れ見失った。現代詩も短歌も俳句も、意識的な創作者以外は、音の響あいの美を知らない。

リズムも弱く脚韻も弱くても、日本語の美、日本語の詩歌の美は、おだやかでなだらかな強弱の主張、押しつけがましさ、うるささのない、静かな繊細な旋律にこそあるのだから、その個性を見失うと何もない散文と変わらない。現代詩、現代短歌、現代俳句に、言葉の音楽がひどく乏しいのはそのためと思う。

優れた和歌はどのうたも日本語の響きが美しい。言葉の響きしらべの美を知る藤原定家百人一首をはじめ。松尾芭蕉の俳句は言葉の諧音にとても意識的で母音子音が美しく響き合っている。閑さや岩にしみ入る蝉の声 の子音s音など多くの作品で。種田山頭火の自由律俳句も母音の響あいがとてもきれい。

詩歌のほんとうに優れた書き手は頭で言葉をこねあげず、創るときに何より(言葉の意味、イメージ、文字のかたち、象徴性以上に)言葉の音、響き、調べに導かれ詩句を選ばされると思う。時代を超え地域民族国家の制約を超えてそれが韻文、音楽のある言葉、詩歌の証。散文には表現できない美。