好きな歌人と詩人と小説家と

石川啄木高村光太郎有島武郎太宰治原民喜を、敬愛し、堀辰雄川端康成の作品の美が好きで、三島由紀夫の「潮騒」「金閣寺」を書写して修練した過去があり、小野小町和泉式部紫式部式子内親王、永福門院、与謝野晶子、葛原妙子のうたに惹かれるのは、ヒューマニスト、宗教にかよう永遠を慕う、絶望しがちな、耽美におちいりがちで逃れられない、どうしようもない資質、宿命なのだと思います。

この世は、そのものとしては、優しくも美しくもないかもしれないと、疑うので。けれども、優しさ、美しさは、ないようでありながら、人にもどこかにも、あるように、思わずにはいられずに、いるので。
素直に記せば、この世は、そのものとしては、優しくも美しくもないと、ほとんど思っていながら、けれども、とも、生きている限りは、まだ思おうとしています。

いま表現している歌人では、よくわからない文語で無理をしながら美しさを香らせようとする、水原紫苑に惹かれます。資質が近いのだと感じます。

俵万智の口語はとてもよくわかりすぎ、クラスメートのようで、惹かれるのとは別の、同じ世代でしゃべりあった感覚だけ感じてしまい、詩としての純に、キュンとときめくことはあまりありません。上手に今の会話を書いてくれたといった感じです。表現の才能はとてもある方だと思います。

メッセンジャー、詩人、小説家として、意思する世代への、表現者として、豊かな才能のある、最果タ匕は、二人の中間位置の、俵万智よりの方のように、作品から感じます。

響く女性歌人として名を書き落としましたが、岡本かの子は、詩、歌そのものでしかありえないような正直な生き方、短歌に、惹かれます。したたかで、粘りつよかったから、表現できたのだと思いつつ、純そのものの心の人と感じます。
男性では釈迢空はクセがありますが、表現深く優れていると感じます。

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり
岡本かの子

響きます。