詩と短歌と小説のこと。吉原幸子、水原紫苑、大江健三郎 赤羽淑 加藤幾惠

思潮社現代詩手帖」は、詩を厭わせる毒を撒き散らしてきたのが好きでないけれど。(つまらない吉本隆明や誰彼の放言を宣伝して)。けれども、
『吉原幸子全詩Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』はとてもよい。Ⅲの彼女の朗読CDはよい。
このCDに、私の敬愛する岡山のノートルダム清心女子大学の赤羽淑がこの詩人を招き確実に聴いていらしただろう朗読と話があり、その場での吉原幸子の話は心を全開に開き素直に、率直に語っていて、心に響き驚きました。現代詩ズレしていない。
声はタバコと年齢のせいで、だみ声になってしまっていて、悲しいけれども。わたしを育ててくださった土曜美術社出版販売の編集者、加藤幾惠も、とても似ていて、悲しいだみ声になられていました。

原幸子新川和江は、「ラ・メール」(フランス語、海)という雑誌で、「特集20世紀女性詩選」という素晴らしい日本の詩を伝えることをしていて、尊敬しています。その特集で小川の純粋のように手のひらで掬い上げられた詩に感じとれたことを、ブログ詩想にわたしは書きとめています。伝えたいと。

短歌を文語で表現することの難しさについて想うことを記しましたが、水原紫苑の新しい歌集『快楽(けらく)』は、文語だからこそできる響き、もう意味のとれない不可思議さの美をたたえ、また現在の社会に生きていざるをえない悲と苦の想いさえあらわそうともがいていて、とても優れた歌集と感じます。
水原紫苑は「女性とジェンダーと短歌」(短歌研究社)を編集し、文筆家として、歌をとおして、伝える、よい仕事をしうる方なのだと思います。この本はこれから読みます。

大江健三郎は小説家を志していたころ日本の文学をはじめに教えられた作家だから、悲しくはないけれども、人は死ぬ、というあたりまえのことを、感じずにいられません。
中野の図書館に通う道でスイミングプール帰りの彼とすれ違ったことがあります。広島での核兵器反対集会、代々木公園での原発反対集会で、話を聞いたことがあり、3回会いました。父親世代の方で、初期中期小説が好きで、サルトルや日本戦後小説家、特に、原民喜、「ヒロシマ・ノート」「ナガサキ・ノート」で人を伝えることこそが文学表現だと教えられ、深く影響されました。優れた心ある小説家でした。
爆弾発明家のノーベル賞はわたしは好きではなく、大江健三郎サルトルのようには受賞拒否しなかったこと、後期の小説はいいとは思いませんけれども。