中島みゆき。ルーブル美術館展「愛を描く」。芸術とAI

中島みゆき「ホームにて」名曲。曲も詩も。
初期アルバムの彼女の詩に、多くのことを教わりました。
この質を保てなかったのは生活するためにしかたなかったのだろうし、しんどすぎて選んだのだろうけれど。中島みゆき。いい詩があるときから消えた。受ける歌詞は書き続けたけど。

シンガーソングライターは現世で売れると儲けてしまい楽になれる可能性があり満足してしまい、書きたいことさえ、見失えてしまいどうでもよくなれるのかもしれない。
その意味でだけなら、生まれつきの詩書きは宿命として、今生での悪運に、死ぬまで書かずに生きられない使命を授けられ刻み込まれた生きもの。

中島みゆきの歌と生き方に想うことをすなおに記しましたが、高校生のときに初めて聴いた数枚のアルバムは今もずっと好きで、ときおり気分で聴き返したりします。心の表現者として、尊敬しています

ルーブル美術館展「愛を描く」
みることができ。一枚一枚の絵の、一筆一筆に画家の想いの眼差しがあり、描かれてから今日までその絵の前に佇み見つめてきた一人ひとりの鑑賞者の、人生と想いがあり、今日もまた新たに一人ひとりの、想いは育まれ。絵は好き絵を好きなひとは好きと、感じられる時間でした。

ルーブル美術館展「愛を描く」を見にくる人、そのおおくの人には、感動できる心とわかちようもなく、この星で続きつづけ、今ある、殺しあい、戦争、争いの愚かさへの、痛みと嫌悪と否定と、願いが、心の片隅に静かに強くあり。
暴力強制を厭うその想いは、人なのだからとても大切なことだと、わたしは思います。

五嶋みどり。リハーサルや舞台裏やインタビューのある最後まで聴き、観て、とても優れた演奏者なのだと感じ、知りました。演奏そのものの優劣を聞きわける耳を持ちませんが、一人の音学家として人間らしい魅力を奏でられる、音楽演奏を愛する方なのだと、感じました。

芸術は専門知識で専門家やコンピューター、AIが採点決めつけられるほど単純なつまらないお遊びではない、人間らしさの誤りまじる表現だから、耳の判定精度が機械に劣っても、より豊かに感じゆらめきうる、大切なものです。
技術の修練で得られるものがともなわなければ他の人に伝わりませんが、技術だけでは機械です。(むかしの少年マンガキカイダーというおかしなのがありました。今ならエーアイダー。)人は響かず、人に響きません。AIは賢しらさの極みの道具で、道具が人の表現力を真似ておろそかに扱うことを、私は好みません。