歌詞と音楽のこと

好きな言葉ハモられる音楽、歌を聴くと1970年頃から、 詩と表現にこめる想いの切実さは、歌詞にとられたのだと思う。
わたしは曲に言葉を載せられないし、載せられる言葉では伝えられないので、切実に曲に載せられない言葉を、どこへともなく向けて奏でたい。

アコースティックギターを抱き抱え指を傷めていた頃。アルペジオの音の響き合いが、今もとても好き。

思えず、望みを捨てた憧れ執着が、ワンダフルワールドなんてお気楽な言葉の歌を恋い、好きと、思い込めるのかもしれない。

英詩、米詩がよいとはあまり思わないけれど。
シェイクスピア、ポーや、ディキンソンを除いて)。
ポール・マッカートニージョン・レノンボブ・ディラン、歌詞と音といったいでしかあらわせない歌には、響いてくるもの、あります。

お金、ビジネスと、競争と、偶然、運で、選り抜かれた、エリート、スター、アイドルの、ビジネスとして成功した表現。
良い悪いの、価値判断は意味がなく、響くか、スキかキライかの、わかりやすい世界なのだと感じます。

この商業世界で、シモーヌ・ヴェイユが生きるのは無理だったと考えたことがあり、今も思います。
わたしは純粋結晶体ではないのでまだもちこたえていますが。

曲を伴いリズムと旋律にのり歌詞はなんとなく音として響かせる歌には押しつけがましさもあり、その強いエネルギーを受けとり共感できるか、感じない雑音として耳をふさぎ無視するか、になるように思います。言葉だけの詩は弱く静かで、あってもなくてもよいようなもの、気づければ、きれい、美しい。