マンガのこと。萩尾望都、紡木たく、「巨人の星」のプルースト

生きる気力を奪われるようなつらい報道だからこそ現在のこの国の弱い立場の人に冷たく過酷さを強いている酷さを、知りなおし、変えるためにできることをと、思います。
「去年の自殺者 全国で2万1881人 増加に転じる 児童・生徒は過去最多 | NHK

助けを求めるのはあたりまえのことで、人を助けようとするのは人ならあたりまえのことなのだから、こころある人をさがし、なんとかみつけて、助けを求めてほしいと、願わずにいられません。

漫画家の萩尾望都が、何の漫画だったかは思い出せませんが、「(こまり弱ってしまっている人にできるかぎりのことをするのは)あたりまえのこと」と描いていて、(漫画じたいの想像力、創造力もとても優れていますが)、こころある表現者だと尊敬しています。(「赤ッ毛のいとこ」でした}

マンガ家、紡木たく、の 「ホットロード」も、青春そのものの、哀しさと輝きと痛みが、線と会話で、描かれていて、感動した好きなマンガです。

どうして少女マンガを、と聞く人がいたら、芸術表現は、感受性と感性のやわらかさと反抗心こそがいのちを授けられ生みだしうるもので、権威と社会的地位をかざし権力と流行りにすりよるような者からは生まれようもないからと。感受性と想像力ゆたかな、弱さを知る人だからこその宇宙そのものだからと。
少女マンガを集中して読んだのは。小説家を心ざした20歳代の前半だった気がします。感受性と感性の豊かさ、知らない世界を知りたかったから。

子どもの頃は少年マンガ「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」を読んでいました。
19歳ころまで繰り返し読んでいた一番好きなマンガは、梶原一騎原作の野球マンガ巨人の星」です。

巨人の星」の最終巻の終りに近いところで、プルーストの小説「失われた時を求めて」の最終章「再び見出された時」の一節が引用されていて、教えられました。いまも好きなマンガです。根性ものです。

 

 

芸術表現という言葉は硬いので言い換えると、人だからこそあらわせる感情、感性、きれいだと感じ、いいなと感じ、純だと感じ、これは嘘ではないごまかしではないと、感じてしまう、切実な痛みからわきあがらずにいられず伝わらずにいられない想いの、泣きながら書かずにいられなかった手書きの手紙。

嘘じゃないな、善いな、きれいだな、と。
真、善、美を、求めずにいられない心は、強さの度合いに限りない差があっても、獣に堕しきった人形死物ではない、人の心の片隅には、必ずあると、わたしは思います。

泣いている子どもがいたら立どまりなんとか泣かずにいられるようにとつとめずにいられない人が、わたしは好き。
みすごし通りすぎてしまえる物は、嫌い。

もうひとつ、正直な想いをあらわすと。文学(特に詩)とマンガは、産みおとされた環境、家庭、生存条件が酷くても、鉛筆一本と見つけた紙でがむしゃらに始められ伝えられる可能性があります。キャンパス、絵の具、楽器、教え手がなくても。より貧しさのそばの、原始的な失われてならない人の表現です。

わたしの表現の源も、手書きの日記とノートです。