エゴン・シーレの絵

久しぶりに絵画展に行きました。
エゴン・シーレ展。
画家が真向きあい描いた生の線描と重ねた絵の具の波うつ構図の魅力に惹かれるとともに、
絵の前に立ちどまり眼差しを向ける人はやはり好きだなと感じることができました。
読書する人を好きなのとおなじほど。

エゴン・シーレは、亡くなった坂崎乙郎が大学での(聴けて本当に良かったと心底思えた唯一の)講義で、その描かれた線の、誰にも描けない、繊細さを、酔いしれるように熱く語りスライドで見せてくれて、初めてしり、忘れられず、心の闇にも光りつづける星のようです。
エゴン・シーレは病死
生き
病死

シーレの絵の、裸体(生殖器)、人の姿は、 夭折そのままの、反抗攻撃的であるけれども、とても清潔だとおもう。
人を凝視していて。
天上画にさえ、似通う。

エゴン・シーレが描く裸体は、ミケランジェロダビデ像とおなじで、人間を凝視して嘘偽り媚世間体なく表したいという、芸術家魂のあらわれだと思う。彼自身が語っているように、それを芸術として見つめられるか、ポルノにしか感じられずおとしめるかは、絵を見る人の魂、心しだいなのだと、思う。

人間を、表現せずにはいられなかったのだと思う。
根本は。
彼の絵がすべて優れているとは、感じず思わないけれど。
伝えずには描かずにはいられず、絵を描き、生きた人。