「アイヌ神謡集」と「知里幸恵ノート」(1)知里幸恵と金子みすず

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 「知里幸恵ノート」は知里幸恵(ちりゆきえ1903~1922年)が祖母や伯母から聞き覚えたアイヌ語口承文芸をローマ字で綴り日本語訳した自筆のノートで、「アイヌ神謡集」原稿の基礎となったものです。(出版本印刷のための原稿は紛失)。

 彼女は金子みすずと同年の生まれで、ともに短い生涯でありながら心に響く美しい詩を書きのこしてくれました。
アイヌの神謡、カムイユーカラは、童謡、童話にとても近くて、優しく、澄んでゆく。
金子みすずの詩、ショパンの「子守歌」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のように、優しく、星の音色に、純化されると、私は感じます。
 彼女は文字を持たないアイヌの言葉の、口承文芸ユーカラを伝え遺そうと、ローマ字で記したうちの13篇だけ日本語対訳の本「アイヌ神謡集」にして19歳の若さで病で亡くなったけれども、口伝えの膨大な詩句をより正確に表せるよう工夫したローマ字と日本語に訳にこめられた想いの強さと詩魂につよくうたれずにはいられません。心臓の病にありながら十代の生命を詩の結晶にしました。

知里幸恵ノート」には、日本語対訳まではできなかったけれど、アイヌ語をローマ字では記し遺した、ずっと多くの口承文芸作品が、ノート数冊何ページも書き綴られています。彼女が伝えずにはいられなかったのは、幾人もの祖母から母へ母から娘へ謡い継がれた心、音色、アイヌ語の言葉でした。それらのローマ字も、日本語対訳はなくても、十分に価値のあるやり遂げられた貴重な文化、文学の仕事です。
 アイヌ民族が北海道の先住民族であったのは歴史の事実だということ、彼女が日本語に対訳したのは、アイヌ語の響き、歌の美しさを伝えずにいられなかった想いからの結晶であったことを忘れずに、歌と詩が言葉の壁をも飛び越えて小鳥のような姿で、私たちの心に響き澄ませてくれることを大切にしたいと私は思います。

 「アイヌ神謡集」の冒頭の神謡「銀の滴降る降るまわりに」は日本語で書かれたもっとも美しい詩の一作品だと私は思います。

□参照資料リンク
「知里幸恵ノート」 北海道立図書館所蔵北方資料デジタルライブラリー