この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に心の耳を澄ませ聞きとっています。
『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。
今回みつめる詩人は、竹内てるよ(たけうち・てるよ、1904年明治37年~2001年平成13年)です。
初めてこの詩人に出会い、読みましたが、詩集のタイトルから心のありようが少し感じとれます。『叛く』『いのち新し』『永遠の花』『夕月』『生命の歌』などです。
収録されている詩集は『花とまごころ』、1933年昭和8年に出版されています。
どのようなところから生まれてきた作品か、私は知りません。ただこの詩に向き合っただけなのですが、とても強い想いが響いている詩です。
どうしてこんなに強い言葉が生まれてきたのか? そう問いかける声が私のうちにあります。
でも一方で、それがわからなくても、強い響きとなっていることが、この詩の良さなのだと思います。
詩は、特定の社会的な事柄、イデオロギー、戦争、大義、主義主張の実現を目的として、その意志発揚のための手段として作られ、使われてしまう場合があります。
日中戦争、太平洋戦争中に、多くの詩人によって、命令に従う目的の意にそう作品が作られました。でもそれは、詩形に整えられた言葉であっても、詩ではありません。
自由な心から生まれてくる言葉だけが詩だからです。
この詩の詩句のなかには、「人類のための戦ひ」、「正義の決然」という、危うさがあると思います。
私は読者として、「ヒューマニズム」、「人間らしさ」を指していると、とります。そうとるとき、共感できます。
ただ人間は弱く、戦争をあおる国家、権力もその目的を必ず「人類の」「正義の」ため、と言います。ですから、私は残念な習性ですが、このような言葉にはまず疑念を抱いてしまいます。危うい言葉です。
そう、感じつつ、この詩を見つめてしまうのは、作者が本当に、いちばん言いたいのは、そこにはないと感じるからです。
母よ、わが子に、悲しみの、絶望の、涙を落すな。たとえどんな時にも。
ただこのことを言いたいと繰り返される言葉ですが、私には、次のようにも聴こえてきます。
わが子がいる。子どもがいる。だからどんな時も、母よ、絶望するな。けして諦めるな。
このように聴こえてくるのは、私だけでしょうか? この詩の強さは、詩人が自分自身に向けて言い聞かせていると、感じることから、生まれているのだと思います。
読み間違えでしょうか? 誤読でしょうか? そうであっても、作者の手を離れた作品をどう感じるかは、読者の自由です。私はこの詩を、このように読み取りたいと思います。
頬
生れて何もしらぬ吾子(あこ)の頬に
母よ、絶望の涙をおとすな。
その頬は赤く小さく、今はたゞ一つのはたんきょうにすぎなくとも
いつ人類のための戦ひに燃えないと云ふことがあらう。
生れて何もしらぬ吾子の頬に
母よ、悲しみの涙をおとすな。
ねむりの中に静かなるまつげのかげを落して
今はたゞ白絹のやうにやわらかくとも
いつ正義への決然にゆがまないと云ふことがあらう。
たゞ自らのよわさと、いくぢなさのために
生れて何もしらぬ吾子の頬に
母よ、絶望の涙をおとすな。
次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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